TOKYO・ARIAKE ARENA
2025 9.27 SAT., 9.28 SUN.
2025 9.27 SAT., 9.28 SUN. TOKYO・ARIAKE ARENA

【FEATURES】NE-YO

美声とMJ仕込みの華麗なステップが目印。R&B界きっての「紳士」のNE-YOがこの秋、有明アリーナをラスヴェガスにする

text = Minako Ikeshiro

 

2020年、パンデミックの最中。NE-YOの「Because of You」が、TikTokの「踊ってみた」でリバイバル・ヒットしたのは少し意外だった。意外だったのは、根強い人気を誇るNE-YOが改めて注目されたからではない。 EDM寄りのダンサブルなヒット曲も多いのに、みんなが好んで踊っていたのがシンプルな「Because of You」だったことだ。だが、このセカンド・アルバムのタイトル曲のシンプルさが国境や世代を超えて響き、みんながステップを踏む気になったのかも、と思い直した。ノルウェー出身のプロデュース・チーム、スターゲイトとNE-YOが得意なベースのクラップビートの曲は、ダンス初心者でもハードルが低い。恋に落ちる瞬間を切り取った歌詞は、NE-YOのよく伸びる美声によって10年以上が経っても褪せない甘酸っぱさを放つ。

00年代は、ヒップホップが完全にメインストリーム化した時代だ。それにともない、ヒップホップと相性がいいR&Bの要素がポップにまで持ち込まれ、アーティストの肌の色を問わずヒット曲のスタンダードに。例として、ザ・ネプチューンズを起用したブリトニー・スピアーズや、ティンバランドと組んだジャスティン・ティンバーレイクの成功を出しておこう。一方、R&Bが本分である黒人のシンガーたちは、前世紀以上に引き出しが多いことを期待されたのだ。つまり、「歌える」だけでは、黒人の同胞たち以外のマーケットで闘えなくなった。

NE-YOは「歌って踊れる」シンガーソングライターである。06年にデビューしたときに、華やかさに加えて新人離れした落ち着きまであったのは、ほかの人に歌詞を提供したキャリアがあったから。彼が得意なのは、毎日働いている人のふつうの恋愛や生活を描くこと。デビュー作『In My Own Words』では、女友だちにきちんとつき合う?と尋ねる「Let Me Get This Right」や、元カノに復縁しない?と持ちかける「It Just Ain’t Right」といった、リアルだけれど重くはない歌詞が共感を呼んだ。ジェイ・Z率いるデフ・ジャム・レコードからリリースされた本作は大流行し、グラミー賞のノミネートを2つ受けている。

私生活の恋愛を、ダイレクトに曲にするアーティストでもある。失恋の曲が多めだったセカンド・アルバムの『Because of You』で最優秀コンテンポラリーR&Bアルバム部門で、初のグラミー賞を受賞した。08年を制した3作目『Year of The Gentlemen』に至っては、サウンドはよりダンサブルになってEDMに寄りながらも、恋愛において「紳士」であろうとする矜持を示した。ラッパーとR&Bシンガーのコラボレーションが当たり前になり、男性のR&Bシンガーも「サグ(ならず者)」に近いアプローチが増えていたため、新鮮に映った記憶がある。だいたい、NE-YOのトレードマークはハットとスーツがトレードマークだ。自立した女性を讃える「Miss Independent」では、グラミー賞の最優勝R&B ソング賞と、最優秀男性R&Bヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞している。

NE-YOがおもしろいのは、マイケル・ジャクソンへの憧憬をまったく隠さない点。前述の『Because of You』の「Sex With My Ex」を聴いてみてほしい。「アーオ」というかけ声、ブレスの入れ方、ドラムパターンすべて、非常にマイケル味が強い。見方をずらすと、マイケル本人への「こういう曲を作れますよ」というプレゼンテーションにも取れるほど。NE-YOは子どものころ、母親に勧められて、声域が近いマイケルとスティーヴィー・ワンダーの曲を練習してボーカルを鍛えたエピソードをもつ。

彼の努力は実を結んだ。マイケル本人から電話がきて、ソングライターとして新作への参加を請われたのだ。初めて会ったときは「君の曲でどれが好きかわかる?」と言われ、そのまま「Go On Girl」の一節を目の前で歌われ、「内心で12歳の女の子みたいに叫んだ」そう。結局、マイケルのために6曲を作り、電話でフィードバックをもらって書き上げ、レコーディングを心待ちにしていたのだが、出会ってから8ヶ月後にMJは他界してしまう。それらはマイケルのための曲であり、一緒に書いた部分もあるのでほかのアーティストにはあげられない、とNE-YOは明言している。また、ふたりとも音が見える音視の共感覚があるのを、会話を通して知ったとも。

マイケルの影響は、NE-YOのステージ・パフォーマンスにも出ている。2012年には『Bad』25周年記念イベントで「Smooth Criminal」と「The Way You Make Me Feel」をほぼ完璧にパフォーマンスして話題になった。00年代後半のヒット群が鮮明ではあるが、2010年代以降もソロ・アーティストとして、ソングライターとしても活躍し続けている。「Let Me Love You(Until You Learn To Love Yourself)」(2012)やジューシー・Jが参加した「She Knows」(2015)では、大人っぽい歌詞と成熟した歌声を聴かせた。

NE-YOの参加曲のなかで、ストリーミングでもっとも強いのはオランダのDJ、アフロジャックがピットブルに作った「Give Me Everything」(2011)だ。23年には、Youtubeで再生回数10億回を記録。NE-YO にとっては06年の「So Sick」に続くビルボード・ホット100の1位となった。この組み合わせで作った14年に「Time of Our Lives」もヒットさせている。この曲では「家賃が遅れそうなのは先週に気づいてたけど/必死に働いても足りなくて/でもこのクラブで盛り上がるくらいの金はあるから/生きているうちに楽しむんだ(I knew my rent was gon’ be late about a week ago /I worked my ass off, but I still can’t pay it though /But I got just enough to get off in this club/Have me a good time, before my time is up)」という、妙に現実的な歌詞を書いている。

日常に根づいたリアルな歌詞を書く彼だが、ライヴ・パフォーマンスは徹底的にショーアップして華やかだ。2024年には、育った街であるラスヴェガスでのレジデンシー公演を成功させ、ビッグ・ニュースになった。これは、カジノを併設しているラスヴェガスのホテルで一定の期間、1日2回ほどステージに立つ、エルヴィス・プレスリーが始めたと言われる形態。観光で訪れる人々が皆、知っている代表曲を数多く持っていないと、ヘッドライナーを務められない。

ひと昔前まではベテランが出演するイメージがあったが、パンデミックでアーティストとバンドが移動しなくて済むプラス面が注目され、近年はブルーノ・マーズやアッシャーなどトップ・アーティストも引き受けている。24年のNE-YOは満を持して、ウィン・ラスベガス・ホテルのアンコール・シアターにて『Human Love Rebellion Residency』と銘打ったレジデンシーを行ったのだ。23年にスタートさせた、最新作『Self Explanatory』をプロモートするワールド・ツアー『Champagne and Roses Tour』と並行したのだから、ここ数年はライヴ・パフォーマンスに全振りしている印象。後者はアジアでも7都市8公演で開催したのに縁が深い日本は来なかったので、9月の来日はファンにとって朗報だ。神戸では単独公演があるが、関東では9月28日のBlue Note JAZZ FESTIVEL in Japan 2025のみの出演なのでお見逃しなく。ツアーは頭から00年代後半のラジオ・ヒット曲を投入、歌詞の提供曲とコラボ曲で緩急をつけ、大団円はデヴィッド・ゲッタとの「Play Hard」から、前述の「Time Of Our Lives」と「Give Me Everything」まで、観客席をダンスフロアー並みに揺らすクラブ・バンガーで締める流れ。セットリストは多少変わる可能性もあるが、懐かしさと非日常感の両方が体感できるコンサートになるのはまちがいない。

 
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LIVE INFORMATION
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Blue Note JAZZ FESTIVAL in JAPAN 2025
2025 9.27 sat., 9.28 sun.
Open12:00pm Start1:00pm
https://bluenotejazzfestival.jp
★NE-YOは 9.28 sun. に出演!


▶︎9.27 sat.
NORAH JONES
DON WAS & THE PAN-DETROIT ENSEMBLE
VALERIE JUNE
and more

▶︎9.28 sun.
NE-YO
DAICHI MIURA
INCOGNITO
and more

池城 美菜子(いけしろ・みなこ)
ライター/翻訳家。アメリカの情勢とポップ・カルチャー、とくにR&B 、ヒップホップ、レゲエにまつわる発信が多い。1995年から2016年までニューヨーク在住、以降は東京が拠点。著書に『ニューヨーク・フーディー』、訳書に『カニエ・ウェスト論』など。
X:@minakodiwriter